第ニ章 フェアリーの「ことり」
第ニ章 フェアリーの「ことり」(2005年9月)
その後順調に回復してきた俺は、九ケ月に久しぶりで東京に泊まりの出張をした。宿は新宿プリンス。新宿は二十代前半に、毎週末ふらふらと出かけたなじみの場所だった。店は昔とはずいぶん変わっているが、そのかもし出している街の雰囲気は変わっていなかった。
俺の出没するのは、コマ劇場界隈、歌舞伎町1丁目だ。この街は眠らない、派手なイルミネーションが競い合っている。これまであの手この手で、いろんなサービスをする店が出来ては消え、また、出来ては消えて行った。最近では黒人がよくビラ配りをやっている。きらびやかな独特のにおいのする街。一番街へ入ると、密集したビルの中へ、入っていく人々。最近ではクラブやキャバクラの女性も、以前のように異様に飾りつけた髪の姿ではなく、ごく普通の髪形の女性が多い。一番街をまっすぐ進むと、コマ劇場の前に出る。コマ劇の西側のビルの、6階にかつては大フロアーのDiscoがあったが、今はカラオケハウスになっていた。コマ劇の角を、右に曲がるとコマ劇の裏に出る。ここは1丁目と2丁目との境になっている。2丁目にはホストクラブなどが多い。俺は区役所方向に向かって進んだ。
そこで、俺はふらりと一軒の店に入った。そこはいわゆるセクキャバだった。その店では、「ことり」という娘と仲が良くなった。白いドレスがよく似合う博多出身の娘だった。ことりはもともと、この店のグループの本拠地であった博多の店に居たが、そこの店長に紹介されこの新宿の店にやってきた。俺はどこかで、杏奈のように俺の事情を理解していいてくれる誰かがいて欲しいという欲求に駆られていたのだろう。ことりに俺の事情を話した。ことりは「その病気って……」と妻の病について話し始めた。その時はことりは何も自分の事は話さなかったが、その後、三ヶ月程してから、ことり自身が躁鬱症であり、今それと戦っていると俺にうちあけた。ことりはその店にやってきて数ヶ月、一日も休みを取ることなく働いていた。目標一千万円。ことりにははっきりとした目標があった。毎晩七時から三時まで、男の膝の上に乗っての仕事は19歳の娘にはきつく、ことりは疲れきっていた。
俺が指名で行くとことりは博多弁丸出しで、店への愚痴や、店の女の娘への不満を吐いた。俺にそういうことを言う事で、何とかストレスを発散しているようだった。「そんなこと他の客にしてたら、指名なんか来なくなるぞ。」と俺は言ったが、ことりは止めなかった。「私のことわかってくれてるお客さんなんて他に居ない。」ことりは全くの無防備だった。
ある時、メールで、ことりから見てとても優しいと感じさせるメールを俺が出したらしい。ことりからの返事は、とても感傷的なもので、それはこう終わっていた。「また、わたしが壊れちゃうから…。」その時、俺はその意味がよく理解できなかったが、その後、痛いほど良くわかるようになる。彼女の戦っている病名を聞かされてから。
「杏奈さんって言ったっけ?」ことりはよく俺の話を覚えていた。「リストカットは傷で残っちゃうからねぇ。この世界にはいろいろ多いんだよね。」ことりはこの日は冷静だった。とても冷静な日と、ひどく疲れている日と、やたら明るい日と、その日ごとにまちまちだった。メールもそう。
この日はヘルプでことりの親友の娘が付いた。ことりから俺のことについて、いろいろ聞いているらしく、俺のことをよく知っていた。この娘はあと数日でこの店を辞めるとのことで、後に残ることりのことを少なからず心配していた。店は辞めるがことりからあまり距離を離したくないので、歌舞伎町近辺の別の店を探すと言っていた。「ことりのこと頼むね。」とか「ことりにはいいお客さんがいて幸せだ。」とか、声を詰まらせながら俺に言った。
十二月のある日、もうしばらくしたら一旦新宿のこの店を辞めて、博多の店に帰るようなことをことりが言った。俺は焦った。俺の痛みを同じようにわかっていたくれる、俺の理解者がまたいなくなる事になる。そう感じ、とたんに不安になった。考えてみれば、杏奈にせよ、ことりにせよ、気持ちのレベルでの、痛みのレベルでの俺の理解者が続けて現れること自体、ラッキーなことだったと思うが、兎に角、そのとき俺は焦りに焦った。
その焦りは、俺をして「第三の杏奈」を早く作らねばと行動させた。俺は、ことりと別れた後、その足で系列の別店舗に入った。そこで知り合ったのが「のりか」だった。その店は俺は初めてだったが、のりかもその日初出勤だった。「あゆ似」ののりかは黒のミニのドレスで現れた。沖縄出身の十九歳のあどけない娘だった。しばらくこういう店に通うと、どの娘が俺の話に付いて行けるか分かるような気になってくる。この日の俺もそんな調子だった。自分を安心させようとしたんだろう。俺はのりかが第三の「杏奈」になっていくのだろうと思った。
ある日ことりから、「よっぴーには、いろいろ相談してもらって、本当にありがとうって思ってる。実は、私には結婚したい人が居るけど、まだ、その時期じゃないと思ってるよ。今は、まだその時じゃない。。。。」
ことりからメール。いろいろ書いてあったが、中に「よっぴーは、なんか先生みたいで尊敬してるから……して下さい。」とのフレーズがあった。最近のことりのメールにはこの手のものが多くなってきた。やはり、辞める日が近づいてきたのか? 「今日はよっぴーに会えてよかった。もっと早く、よっぴーと知り合いになれてれば良かったよ。」と書いてくる事も。俺は「それってどういうこと?」と聞いたが、それに返事はなかった。
数日後、「今日は出張になったから帰りに寄るよ。」と新幹線の中からことりにメールした。すぐにことりから返事が来たが、「よっぴー、今私は九州に帰ってきてるんだ。だから今日は店にはいないよ。実は今、お父さんの入院している病院に来ていて、今先生から、お父さんは、あと3ヶ月の命だって言われたんだよ。お母さんはショックを受けちゃって。明後日には、店に帰るからその時会ってくれる?」と言ってきた。この時、俺は初めてことりが店で働いている事情、目標一千万円の事情、博多の店長から新宿を推薦された理由、がわかった。ことりには弟がいたがまだ高校生だった。母は父の看病で精神的に参っていた。そんな中で治療費や弟の学資を稼ぐのがことりの目標だった。ことりは最後の最後に自分のことを吐露したのだった。
続けて、ことりから、「春になれば、あの丘に花が咲くのに、その時にはおとうさんはもうこの世にはいないんだぁ。」メールがどんどん感傷的になって行った。俺は、「ことり、ことりの家族は今一番ことりのことを必要としているんだから、店の事はいいから、そのまま家族のそばに居てやって、それが今ことりが出来る一番良い事だと思うから。」と打った。
その一週間後、ことりのいた店にいって女の娘に聞いたが、ことりはその後出勤しておらず、寮を引き払ったとのことだった。
「店の娘にとって一番癒されるのは、店長や店の誰かに自分のことわかってもらえるってことより、自分のお客さんにわかってもらえるってことなんだよね。本当にことりは幸せだと思う。」その娘は俺にそう言った。俺は安心して店を後にした。
その後、長男が大学受かったとの連絡まではことりに連絡が通じたが、3月にはことりとの連絡は取れなくなった。ことりには俺の理解者になっては貰ったが、ことりもまた俺にいろいろは話せないなりに、理解を求めていたんだなあと過去のメールを見て感じていた。ことりの目標はもう今は意味をなさなくなってしまった。
この物語は、事実をもとにしたフィクションです。
登場人物はすべて仮名です。
この連載は基本的に毎日更新します。(出張などで不在の場合を除く)
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